根拠はなくてもいいんじゃない?

もう何年になるんだろう。「根拠のない自信」としての「この人なら大丈夫」「この企業様なら大丈夫」という思い。色々思い起こしてみると、実は根拠はあるような気がします。

根拠は「できると信じていること」そのものなんだと感じています。ナポレオン・ヒルさんも「思考は現実化する」と仰っているように、「できる」「大丈夫だ」と本当に信じられる事で、その後の行動が「するためにどうするか」だけを考えるようになる気がします。

実現できると信じているからこそ、「だったらどうするか」を考えられるんですよね。

先日、仕事以外の事で少し先が見えなくて、立ち止まるどころか、逃げたい心境になった事がありました。考えた挙句、逃げてみようと思ったのですが、近くにいた人から逃げている事を指摘され、「駄目だった時にどうしたらいいかを考えていけばいい」と改めて言われました。

当たり前といえば当たり前だろうし、仕事ではそのように立ち止まる事もないのに、仕事以外の事は「感情がコントロールできなくなるのであれば、止めてみるのも選択だ」と思ってしまう私が居ました。「感情をどうコントロールしていくか」「その感情を動かしてしまう事をどう取り除いていくか」を考えていけばいいのに。結局、我に返って逃げずに進んでみようと考えなおしました。

今回の件で、ふと気づいたのは、「根拠がある」「先の見通しがある」という事が重要ではなく、「できように進むこと」「あきらめないこと」なんだろうなと言う事です。そうなると、根拠のない自信って、根拠があって、先が見えている時よりも実はパワフルなんじゃないかということです。先が見えていたら予定通りになるのかもしれませんが、根拠がなかったら、途中で出会う事に柔軟に対応しながら、進んでいきやすいのかなと。

とは言え、根拠がない自信は、本当に根拠がないわけじゃないように思います。
とある人は「誰かが成し遂げた事なら、同じ人間なんだから時間は余分にかかったとしてもできるはず」と仰っていました。
またほかの人は「今まで大変な事ばかりでしたから、これからの事もきっと何とかなるんです」と仰っていました。
またまたほかの人は「あきらめるからできないだけで、あきらめ悪ければ、いつかできる。だって昨日より進んでるでしょ」と仰っていました。
この言葉たちは、偉人の言葉ではありません。本当に私の身近な方々が発している言葉です。実際にこの方々は、着実に進み、きっといつか大きな事を成し遂げられると信じています。

根拠は本当はどこかにあるのではなく、自分の心の中や、今までの体験の中、そして考え方の中にあるのかなと思います。そして、進み続ければ、本当の根拠が出来上がっていくのではないでしょうか。

私は仕事以外の事でも、同じように自分の体験を信じて、根拠がなくても進み続けようと思います。根拠なんてなくてもいいんじゃない?そう思いませんか。こう進むと決めて、動くことの方が大切なのかもね。私は今はそう考えています。
まあ、考えに考えた時間があったからこそ、そう思えたのかもしれませんけれど。先に進むという決断も大切なのかもしれませんね。

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