リーダーの思いが強すぎると起こる弊害

高度成長期には、何よりリーダーの即決力と牽引力というものが必須だと言われておりましたが、今もこの能力が必要とは言っても、多様化する現代の中では、現場の人の方が知っていることや、自分の範囲だけで決断していくと、世間に合わないものになってしまう場合も生じているようです。それがリーダー研修の中で仮説が立てられました。

あくまでも私の仮説です。
というのは、経験値からの事であり、個性でもあるので、そうじゃなかったらどうなのかは、それぞれが実践してみて検証するにしても、この事だけの作用ではないと考えられるからです。なので、あくまでも参考として、自分の仮説を聞いていただけたらと思います。

リーダーにもいろんなタイプの方々がいらっしゃいます。人の数だけ持ち合わせているリーダーシップは多種多用だと思いますが、その中で、何だか動じない、自分が正しいと主張し続ける方々がいらっしゃいます。研修で仮にコーチングを学んでも、質問力を誘導力に変換してしまう方々もいらっしゃいます。

中には「僕にはコーチングは向かない」と判断し、自分の強みをいかに発揮するかを考える方もいらっしゃるので、これはこれで素晴らしいなと感じる事も多々あります。

ところが、たまに起こる事が、部下も思いがある場合です。
部下にも思いがあると、傍から聞いていると同じ方向性を向いていて、求めている事は同じなのに、方法が少し違うだけなのです。すると、部下の意見そっちのけで、自分の意思を貫き通すために、納得感のないまま実行することになります。

方向性もゴールも同じだから、成功はするのですが、部下にとっては「違う方法ならもっと効率的に結果が出せたのに、なんで遠回りしなくちゃならないんだ。そのことについて気づきもしない上司ってどうなの?」と達成感を味わうどころか不満をひとつ溜め込みます。

ある例を紹介します。

こうした事が続いていたある日、部下が急にやめると言ってきたのだそうです。対立はしていても、思いが強い部下を持った幸せは感じていた上司は、ショックで仕方ありません。何とか居て欲しいと説得を続けたところ、この説得という事自体がストレスなんだと、とうとうその人の思いを聞けたのだそうです。

部下は日々の仕事で、何とか思いの強いリーダーと一緒に頑張っていきたいと、自分がこのチームを良くするにはどうしたらいいだろう?と日々考え、決済の要らない所は改革をしてきたのでした。
しかし、いざリーダーと共に何かをしようと思った時には、対話もないまま押し付けられて、結局僕はなんのために頑張っているんだろうと、虚しさと悔しさしか感じられないようになっていったのだそうです。

初めて部下の声が上司に伝わった瞬間でした。

上司は初めて部下に聞いてみました。
「確かに私は、リーダーとして引っ張っていく事は考えていたが、○○君達の考えについては聴いたことがない。今更かもしれないが、私のチームはどうして行ったらいいと○○君は思っているのか、ここを変えた方がいいという事でもいいし、この機会だから思っている事を全部話してくれないか。」

部下は3時間半も話してくれたそうです。
その間、違うと思うことがあっても、とにかく聞いてみたそうです。
自分では発想できない発想があったり、見えてない部分が見えたり、違う見方だから反論したい部分があったりと、いろんなことが聞けたそうです。
特に反論したい部分に関しては、部下も同じ思いを抱えていたんだなと初めて気づいたそうです。

話し終えた後、上司が部下に言いました。
「反論したいこともあったが、こうした思いを抱えてやってたのかって気づいたよ。私はひとりよがりだったのかもしれない。君がそこまでチームを愛してくれていたということに気づかなかった。すまなかった。
 私ももう少し君と仲間としてやってみたいと思った。もう一日だけ考えてくれないか。」

それだけを言って、この3時間半に聴いた事で頭がいっぱいで、その場を離れたそうです。

そして、次の日部下が上司に声をかけてきました。
「僕は、☓☓リーダーを尊敬している時期もありました。その人にもう一度仲間としてやりたいと言われたことが嬉しかったです。まだココロの整理はついていませんので、もう少し考える時間を下さい。」

いつもなら、すぐ決断しろと言っているであろうリーダーは、解ったと言って、彼の返事を待ちました。

すると、あっさり次の朝に彼が晴れやかな表情でやってきました。
「☓☓リーダー。僕、この会社が好きです。リーダーにも仲間としてと言われましたし、もう少し頑張ってみます」と言ってきたそうです。

部下も嬉しかったのでしょうが、上司はその時の言葉が今でも忘れられないと話してくれました。

リーダーの思いが強いのは素敵な事だけれど、周りに居る人達が「コマ」になってしまってその人の意思も仲間と言う意識も薄れてしまうこともあるようです。
もちろんそんな人ばかりではないと思いますが、私が出会った人達の中にはそんな事が弊害だったんだろうと考えられるケースは多く存在しました。

思いは大切にしながらも、周囲の人達の存在も忘れないように意識をしていただけたらなと思った事でした。

仮説と言いながらも、きっと私の中では気にして欲しい事なんだろうと書いていて思っている今です。

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