決める事は練習次第でできるようになる

タイトルにした言葉「決める事は練習次第でできるようになる」というのは、何気にみた漫画のワンシーンで以前聴いたことのある言葉です。なあんだと思う方も、本当にそうなるんだなと感じた体験をお伝えします。

私は自称優柔不断です。本当にメニューを決めるのをはじめ、何かを選ぶとなると、「捨てる決断」をしたくないんだなと今は思います。欲張りなんです。どっちもいいな。だから、どっちも選べない。それが私の優柔不断です。
私の友達の中には、周りの人に迷惑かけないのはどちらかで選ぶ時に、どっちも迷惑かけない選択は自分で決められるのに、自分は何が好きか分からず決断できない人も居ます。

それぞれ決断できない理由はあるとしても、いづれにしても「練習次第」と思って始めたのは、馬鹿だと思うかもしれませんが、「車のナンバーに入っている番号を車が通過する前に一つだけ言う」というものです。これならどこでも、車が通る道路であればできるからです。

このトレーニングは「直感力を鍛える」時にも使えると聴いていたので、二倍おいしい!と思って始めました。
最初の頃は、近づいてきてから数字を言おうとするから、次の車には追いつかず、言えないんですよね。
それが、慣れてくると、4桁なら10分の4の確立で当たるわけですから、とにかく言ってみよう!といえるようになりました。
その友達と食事に行くと、とにかく目に入ったものを直感で決めて頼む。
洋服屋さんに入っても、入る前にいくら位で、何色で、どんな雰囲気かを決めてから入る。そうするとすんなり決める事ができるようになったのです。

こうしてトレーニングしていて、二人で話したのは、私達が決めるために大切な事は、3つだとわかりました。

  1. 基準を先に持っていること。でも色んな場面があるからこそ、自分を知るって事や、自分が何を大切にしているか、色んな物事に目を向ける必要があるんだねということ。
  2. 失敗するとか、恥をかくとかって意外に意識していたのかも。まずは行ったり、動いてみないと分からないこともあるという事。
  3. あとから修正はできるということ。その決断が生死に関わる場合は違うでしょうが、それ以外の事は、後から修正できるんですよね。
以上3つです。

決断を簡単に出来る人には、当然の事なのかもしれませんが、こうした練習をして、今の私が居ます。

今でも、決断は苦手で、どれでもいいかなって元々の基準がないと思う事は、一緒に居る人の決断を聴いてから乗っかることもよくあります。でも、それが基準がない時の私の決断方法になりました。

基準がないように見えて、嫌だと思う事がはっきりしている時も、これとこれは嫌と表現できるようになりました。これも基準なのでしょう。

この練習をしたのが18歳~20歳にかけての事です。優柔不断な二人が揃うとああでもない、こうでもないと話しはするもののなかなか結論がでない中で、決めた二人の練習は、その後の私達の決断力に大きな力となりました。

優柔不断は正確だと思っていたのですが、決断力という能力は鍛える事ができるんだと体感しました。
ふと、今日「先にこれを終わらせてからブログを書く」と決めて、終わらせた仕事が終わり、予定より遅れましたが、ブログをアップする時に、この事を急に書きたくなったので書きました。

性格を変える必要はなく、能力は鍛える事ができる。
このことをこれからも信じています。
あなたも正確のせいにしてあきらめてしまっていることってありませんか。

コメント

  1. よっこ より:

    どちらも選べない時って、しばしばあります。
    そうですね、訓練も必要ですね。

  2. coachsmile より:

    よっこさん
    よっこさんもしばしばあるんですね。
    訓練すると、変化しますよ。お試しあれ。

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