チームの自主性を奪うもの

チームのメンバーの自主性を奪うものって本当に沢山あるんですよね。
というよりも、自主的にならないほうが得する事が多いだけなんじゃないかとも私は思います。だって、本当にしたいことなら、どんな状況でもやっちゃうものじゃないでしょうか。

そうなると、いったい自主的にならない方が得することや、自主的になりづらい状況って何が作っているんだろう?

きっと場面場面によっても違うのでしょうが今朝の電話会議も含めて、確信したこと。
何でもやってみていいんだよ。失敗してもフォローするよ。失敗なんてないんだよ。など、何でも大丈夫だという雰囲気が有ることは大きく起因している気がします。

では、その雰囲気はどう作られているのか?

  • 違う意見は出てくるけれど、否定し合うことはない。
  • やって駄目でも、次の発想へ繋げていける「建設的」と言われるポジティブさ。これは、きっと「できる」という事を信じているからこそ生まれるものだと思います。
  • うまくいった時には、認め合える。これは、お互いがお互いの事だけに集中していないからこそ出来るんじゃないかと思います。原点を掘り返すと、昔から言われている報連相がきっちりできている事と、その意味をお互いが共有しているのではないでしょうか。
  • ゴールが明確。この事が、上記3つに繋がっていくのかもしれません。

そんな事を考えてみれば、自主性は自然に生まれるのではないでしょうか。
チームの自主性を奪うものがあるとしたら、それはその人自身だけのせいではなく、周囲の関わりが与える影響も大きいのではないでしょうか。

私も子供の自主性を奪ってしまっていないか、たまに振り返ります。
振り返ってみると、結構、私の思いを押し付けようとしながら「あなたのためよ」と、まるで子供のためのつもりで言葉を発してしまうのですが、私が押し付けているだけなんですよね。そんな事が、まだまだあります。
子育てを振り返ることで、外で同じ事を繰り返さないようにしている事もあったように思います。

まだまだ私も家族というチームの自主性を奪っていることもあるかもしれません。ゴールの共有も薄れてきています。
自分の反省も含めて、ここに記しておきたいと思います。

あなたはどうですか?

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