短所も活かせば大きな強みになる

「強み」という言葉がよく使われるようになってきていますが、自分なりの認識では、強みというのは、自分らしさそのものです。つまり、自分で短所と思っている部分も言い換えると、活かせる部分に見えたりします。こうなると、短所の克服ではなく、その短所さえいかに活かすかになると思うのです。

とは言え、自分の中の解釈というのはなかなか変えづらいので、周囲の人に手伝ってもらうとあっさりいくこともあります。私の場合は、周囲の人に手伝ってもらったこともありますし、コーチと共に自分で変換させてみることもありました。そのおかげで、今の自分を信じられる私になれている気がします。

特に、「優柔不断」というのをずっとネガティブに捉えていましたが、「人に合わせるのが得意」「適応力がある」と自分で変換できた時には、「他人に決められたルールの中でも楽しみを見つけられる」事もだからなんだあと納得できて、すごく気持ちが楽になっただけでなく、「優柔不断を変えなくちゃ」という思いがなくなったんです。でも、不思議とその瞬間から、「本当に譲れないものは譲らない私」や「やたら決断が早い私」がいる瞬間にも気づく事ができ、こだわる事にはこだわっているんだからいいんだと思えるようになりました。

強みって捉え方をするだけで、全く別物になってしまったんです。
自分自身がそのことを体験したことで、他の人を見る目も全く変わってしまいました。「ここが短所なんだよな」と思っていた部下も、「そのことをどうしたら活かしてあげられるだろうか」に変わりました。
そうなると、部下がそれに気づくのか、部下の私に対する信頼度も上がってきたのが不思議でした。その上、活かす方法が見つかると、私にできない事もどんどんできて、尊敬すらできるようになりました。

「これは私がやるよりも、彼女にやってもらった方がいいな。」「この件は私がフォローした方がいいな」など、チームとして仕事をしている感覚が持てるようになりました。その部下にも、こうした事を共有して、私が得意だと思うことは私に依頼してもいいよと協働関係を強化することができました。
おかげでこうした人達とは今でもお付き合いがありますし、尊敬しあえています。

私には当たり前なのに、他の人から見ると「すごいね」と言ってもらえる部分に関しては、私の気づいてない強みでもあったのかもしれません。それは私では当たり前すぎるから見つからない部分。人に言われて初めて気づく部分。
こうした人に言われて気づく強みもあると思うから、相手の強みも気づけば伝えるようにしています。これは、きっと自分が体験したからこそ、伝えたくなっちゃうんでしょうね。

たまに「余計なお世話」なのかなと思いながらも、止められない私の資質になってしまっています。

ただ言えるのは、「短所を変える」のではなく、「短所を活かす」という発想になった時の方が、自分らしい自分で居られるだけでなく、個性を活かしあう社会になりやすいんじゃないかなあなんて、大きな事も思ってしまいました。

今でも優柔不断だねと言われる事はあっても、以前のように「直さなきゃ」と反応する自分は居らず、「私らしいでしょ」と思っている私がいます。何だか心がどっしりした気分です。(体もどっしりしてきちゃったけど・・・)

あなたも、短所と思っている部分の新しい捉え方、見つけてみませんか。

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