今の自他と対話する

ミスコミュニケーションの一つとして、ありがちな罠が「いつの誰と会話するのか」だと思います。

どういう事かと言いますと、一つの例を紹介します。
ある時部下が「リーダーシップの講座に参加したい」と言い出しました。けれども、係長は「講座に出ても、仕事が上達するわけじゃないだろう。参加する位なら、その間に一つでも仕事を終わらせろ」と部下の思いを拒絶しました。

ところが、部下と係長の間の立場にあるリーダーが、係長に話しがあると言って来ました。係長が聴いてみると、部下は自分の仕事は既にこなせるどころか、周りに気を配れるまでに成長しており、リーダーとしての視点を望んだのはリーダー自身だったのでした。
そこで、リーダーは「係長の言葉で彼がやる気をなくしてしまっています。僕の報告が至らなかったのかもしれませんが、再度検討してもらいたい」と申し出たのでした。

係長は、部下とリーダーを呼び、部下がこれからどうしていきたいのか、今の自分をどう成長させていきたいのかなどを改めて確認しました。係長は部下の成長に全く目を向けていなかったことを反省しながら、リーダーにもこれからは部下の成長について話す時間を持とうと宣言しました。その後、再度、講座への参加を承認したのでした。

上記の事例でも、直属の上司はみていたのですが、その上の役職としての上司は、入って間もない頃の部下のままの印象しかなかったという事が、今回のギャップにつながったのでした。
正直、この部分は人の目配り気配りには限界があるのかもしれないので、難しいとは思っても、せめて部下が申し出た時に、リーダーに確認するなり、そう思うに至った経緯を聞くなり、その時の部下と接していたら違っていたのかもしれません。

私自身、こうしたギャップで部下に嫌な思いをさせてしまったこともあるのかもしれません。意識している事と無意識があるならば、私の場合、忙しさを理由にきっと無意識では以前の部下と話していたと思うからです。
けれども、「今ここにいる相手」と本気で話せていたら、「以前までの相手」とのギャップはその場で埋められるのかもしれないと思います。そのギャップが成長かもしれないわけですしね。

「今ここ」の相手、そして「今ここ」の私が、対話をするんだということを忘れずにいたいものです。
上記のような事例をたまたま最近、数件立て続けて目の当たりにしたので、自分のためにも、ここであなたと分かち合いたいと思います。

「今ここ」のあなたはどんな事を感じましたか。

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