価値観の近い友達の居る有難さ

昨日(2011年7月17日)は、少し友達と共通の出来事について話しをしました。自分の中でも、友達の中でも、口にしておいた方がいいという思いがあったのだと思います。そして、その時のことや、受けた衝撃について少し話しをしました。その後が、価値観が近いことの有難さを感じました。

友達と知り合ったのは、かれこれ7年近くになると思います。けれども、最初はそれほど仲が良いというほどではなかったのですが、尊敬する人の一人でもありました。そして、数年前から急激に仲良くなり、有難いことにお互いの考え方も好きだよねと言い合えるようになりました。

そんな友達との話しですから、途中から「この出来事は私達に何を学ばせてくれているのだろうか?」という話になったわけです。
きっとコーチングや学習の場では、そういう話にもなるでしょうが、その場は本当に友達の会話のはずなのに、こうした話ができるのです。実際、二人とも唐突感もなく、その話に真剣になりました。
結論を急ぐよりも、じっくり考えてみたいねという話になったものの、「もし出来事が必然だったとしたら?」「もしも自分達がその出来事を起こさせてしまっていたのだとしたら?」という話で盛り上がりました。
TAW理論という発想の話しも聞いて、「この世で起こっていることは全て自分が引き起こしている」という前提に立つというもので、面白いだけでなく、コーチングで言う主体性を持つという事にも通じてくるんだなと感じました。
この結びついていく感覚が何だか面白い。

出来事の話から始まったのに、そんな他の学習と結びつけながら話しをしていたらあっという間に時間が過ぎていきました。
結論として、出来事は私達が引き寄せたもの。私達の気づいてなかったある思いを体言したものであるという事に気付けたのです。他の人にはなんともないかもしれないことが、私達にはこれだけひっかかる出来事だったのだとしたら、ひっかかる理由があるという事ですものね。

そんな話ができた事がすごく楽しかったです。衝撃的な出来事が自然に学びに変化できました。同じような考え方の友達が居て、本当に良かったなと思います。コーチとの話しに近い状態ではありましたが、それでも、お互いに話すという意味では違う感覚もありました。

次からも出来事をどんどん学びに変えていける気がしています。一段と、いろんなことが起こっても平気という気持ちが大きくなりました。

あなたに起こっている出来事がもしも自分が原因になっているとしたら?
感情が収まらない時に、その感情も吐き出しながら話してみるのも、いいものだと私は思います。
人生に無駄なことは一つもないんだから。

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