教育がもたらしたジレンマ?

先日、コーチングの質を向上させるためのメンターコーチをお願いしているのですが、そのコーチとのセッションの中で、自分のビジョンについて話しをしました。その時、元教員でもあったコーチと、今、小中学生や先生方に接する機会をいただいている私とで話しをしたことがありました。それは教育で不足しているものについてでした。

海外と日本を比べる必要はないかもしれませんが、海外では、「自分のビジョン」について問いかけ、語らせるという学習の時間があるそうです。しかし、日本ではそうした個人に焦点を充てるのは、先生に任せられている部分があり、授業があるわけでもないために、将来に対することを考える思考が鍛えられてないそうです。

この話になったのは、私は運よく?父にずっと問われた質問が二つありました。
「お前は将来どうなりたいんだ」(たまに「お前は将来何になるんだ」)
「で?どうするんだ」
この二つです。
小さい頃は言われるたびに困っていたのですが、いつの間にか、そういう思考が定着してきたのでしょうね。

今回のセッションでもこの話になったのは、私の中では曖昧なビジョンだと思っていたのですが、コーチからすると「すごい明確だよね。これだけ語れるなんてすごいね。」と言われた時に、自分では普通で、曖昧だと思っていたのに?という驚きがありました。語っている間により明確になった部分もあります。けれども、コーチの言葉に驚き、何だろうねって事で感想や考えを伝え合ったりした時に分かったのが、学校教育の違いでした。
それが良い悪いというよりは、全て学校で教えることを求めるのではなく、そうであれば、私達大人が、子供達に応えられなくても問いかけていくことは大切なのかもしれないと感じたのです。

娘に「大きくなったら何になりたい?」という問いかけはしているのですが、どんどん現実的になってきました。きっと今の私の方が、現実的ではない夢を描いているのかもしれません。

(コーチとのセッションの中の一部。コ=コーチ)
私「現実を考えると、●●なんですが、本当は××だったらいいなって思います。」
コ「××って、私は是非社会貢献のためにもしてほしいと思います。実現するとしたら、どうしたらいいのかしら」
私「△△って大きな課題があるんですよ」
コ「△△って、確かに課題ですよね。でもそれがクリアできたらどうですか」
私「クリアできれば、実現したいですね。」
コ「だったら、クリアしましょうよ。△△はどうしたらクリアできるんでしょうか」
私「そうですね~。・・・・」

という具合に、自分の中で気になっていた夢、しかもありありと描いていたビジョンを実現するために動きだすことができました。
けれども、多くの場合、夢やビジョンを描く思考が鍛えられてない方が多いから、この前の段階なんですよね。本当は少なからずあるそうです。それを引き出していくのも大切ですが、引き出す前に思考を鍛えることも大切なんだなと感じました。

これから出会う人、そして今既に出会っている人、そして子供達に問いかけ続けたいなと思います。

あなたはこの先、どうしていきたい?
具体的にどんな状態?

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